- 溶ける魚のように
- まぼろしの二十年
- 北京ステーション
- 樹木と話す少年
- 紫禁城の夜 – Forbidden City
- 裸の男
私が初めて発売と同時に購入したアルバム。このアルバムの発売後、ぴあで必死にライブ情報を探して渋谷ラ・ママでライブを見た記憶がある。プロステではないけれどそんな想い出とリンクしているアルバムである。個人的に一番良く聴いたアルバムであるし、一番好きと言っても過言ではない。もちろんこの文章を書き終わった後に、そのベストは他のアルバムに取って代わられてしまうかも知れない。
1曲目から驚かされる。それまで使われることが無かった楽器の音が満載なのだ。音の作りも待ったく違う。プロステや後退青年の音では無い。しかし不思議と拒否反応は起こらない。そう既視感満載の音作りなのだ。終盤の盛り上がりと言い、これ以上無い具体的な単語ばかりなのに、内容は全くもって幻想的という矛盾をはらんだ素晴らしい歌詞。何処をとっても素晴らしい。「溶ける魚のように」とはいったい何のメタファーなのだろう。
ライブではラブソングが少ないと発言することが多いが、過去の事を歌ったこともあまり多くなかった。そんな過去を歌ったのが「まぼろしの二十年」。続編と言っていいだろう「まぼろし」という曲は30年前の事を歌っている。歌詞を比較して聴くといろいろな発見がある。感想は読んだ人によって異なるだろう。前曲から一転してテンポアップするが、重苦しい音は変わらない。1曲を通じて様々なギターの音を聞くことが出来る。ワウたっぷりのバッキング並びにリード。フィードバック。そしてツインリードの鋭さ、トリプルリードのドライブさ加減。なんという贅沢な作りだろうか。
一聴するとインタールードにも感じるイントロから、軽やかなカッティングで始まる。アルバム随一のポップでロックな曲だ。「光り輝く場所」に通じる曲調である。ライブでアコースティックギターでの弾き語りで披露されたこともある。ボーカルはなかなか攻撃的である。おそらくタイトルの「北京ステーション」通りに北京駅を訪れたときの経験からきた歌詞なのだろう。そのときの気持ちがダイレクトに伝わってくる。個人的にものすごくBeatlesを感じる曲。
次はライブで演奏されることが多い「樹木と話す少年」。本人もよくわからない歌詞と語っているが、私にもさっぱりです…。しかし情景は思い描くことが出来る不思議な歌詞。近年のライブはますます浮遊感が強くなってアシッド具合が増している。
やっと後退青年らしい曲調の「紫禁城の夜 – Forbidden City」へ。「北京ステーション」同様、この地を訪れたのであろう。実は具体的な土地について歌っていることが多いのである。横浜の紅葉坂、日ノ出町、五番街、鎌倉の大町小町等々。コンピレーションを組んだらなかなか面白い。
そして非常に、非常に重要な歌である「裸の男」。何も語ることは無い。
いま改めて聞き直してみると、プロステのアルバムに入っていてもおかしくない曲が含まれていることや、現在に至るまでのスタジオ録音の基本となる音で録音されていることに気がつく。
録音技術が格段に進歩していく過程や、その後の中国への憧憬の始まり。そしてバンドへの曲提供の基準の曖昧さを感じることが出来る。そういった意味でアルバム作成は困難だったのだろうと予想してしまう。
ましてや1985年の”Nowhere Street”以来のスタジオ録音である。気負いがあってもおかしくない。だからプロデュースは本人含め、ほぼバンドメンバーでの共同作業、アレンジに関しては金井太郎に一任するということに至ったのではないだろうか。その思惑は見事に上手くいっている。
アルバム全体に漂う重い雰囲気が、幻想的かつ情景が目の前に浮かぶ歌詞に非常にマッチしている。そして歌い手としての存在感が大きくなっている。歌い方を変えたのであろうか。吉野大作自身の変化の過程と、今に至る音の基本が作られた非常に重要なアルバムである。